喫煙者の権利が著しく迫害されています。 喫煙者の権利を守る運動を立ち上げたいと考えます。 一本のたばこにつき一円 旧国鉄の負債清算に奉仕している 私達をどこまで侮るのだ!!
日本たばこ党宣言
スポンサーサイト
-----------  CATEGORY: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

応援クリック宜しくお願いします。励みになります…
平に平になにとぞよろしくお願い申し奉ります。
朝日新聞を購読しません」運動を! 朝日新聞を読むと世界のことが理解できず、自分が馬鹿であると思うようになります。 それが政治への無関心を増長させ、国民を投票から遠ざけ、左翼組織票による議会政治の乗っ取り を推進させています。産経新聞をお薦めします。まだまだましです。
ページトップへ
「逝きし世の面影」渡辺京二著 F・ベアトの古写真風景画に写り込んだ幕末の人々
2015-11-16-Mon  CATEGORY: 在日認定
Fベアト連結A
ベアトの風景画に映り込んだ、幕末の日本人の画像を整理していて、「逝きし世の面影」渡辺京二著 を思い出してしまった。それにしても、幕末に生きた日本人の脛骨の長さに注目して下さい。以下 松岡正剛氏の書評よりの引用です。


誰が日本を見捨てのか。
何が日本を見殺しにしたのか。
ここに描かれているのは、一つの文明である。
その文明は、もう滅びたものなのだ。
では、われわれはその文明をどのように見ればいいのか。
そうなのだ、新たに遭遇する異色の光景と社会として、
ここに接するべきなのだ。

一つの文明が滅んだのである。一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだ。
 それを江戸文明とよぶか徳川文明とよぶか、歴史学はそんなふうには日本の近世を見ていないから、いまのところ呼び名はどうでもいい。しかし、そのように呼びたくなるほど、われわれにとっての大きなもの、つまり文明が、いつしか喪失してしまったのだ。
 バシル・チェンバレンは「あのころの社会はなんと風変わりな、絵のような社会であったか」とのべて、でも「古い日本は死んでしまった」と書いた。チェンバレンには、「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」と見えたのに、そのうち日本も、富国強兵・殖産興業をもってわざわざ富裕階級とともに貧困階級をつくりだしてしまった。そのためチェンバレンは、自著の『日本事物誌』(平凡社東洋文庫)を、古き日本のための「いわば墓碑銘たらんとするもの」と位置づけた。



司法省の顧問として明治5年に来日したジョルジュ・ブスケも、『日本見聞記』(みすず書房)に、「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない」と書き、日本人に欧米諸国の貧困層がもつ野蛮さがないことに驚嘆したうえで、それがしだいに失われていく日本を哀惜した。
 日本アルプスを“発見”したウォルター・ウェストン(382夜)も同じだった。「日本が昔のように素朴で美しい国になることはけっしてあるまい」と、『知られざる日本を旅して』に綴った。いや、日本に惚れた多くの外国人は、その後の日本の欧米化を残念がった。
 安政のころから日本を頻繁に訪れるようになった外国人たちが、どのように日本を見たかということについては、現代の日本人にはほとんど信じられないようなことがひしめている。
 自然の景色の美しさを称賛しているのなら、おおかたの予想がつくだろう。そうではなく、たとえば港町そのものに、また、そこからちょっと離れた郊外の美しさに、かれらはほとほと目を奪われたのだ。当時の日本人にとっても、その時期の版画や写真を見せられた現代の日本人にも、そこまで美しいとは思わなかったかもしれないのに、だ。
 たとえば、『エルベ号艦長幕末記』(新人物往来社)のラインホルド・ヴェルナーは、長崎が、「世界3大美港のリオデジャネイロ、リスボン、コンスタンチノープルよりずっと美しい」と書き、万延元年に通商条約締結のためにやってきたプロシアのオイゲンブルク使節団のベルクは、その長崎の「郊外の美しさは譬えようもない。どこに足をむけてもすばらしい景観だった」と絶賛した(『オイゲンブルク日本遠征記』雄松堂出版)。
 プロシアの商人リュードルフも下田に来て、「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。日本は天恵をうけた国、地上のパラダイスであろう」と書いた(『グレタ号日本通商記』雄松堂出版)。地上のパラダイスとまで言われると、まことにおもはゆい。
 安政6年に初代駐日イギリス大使として着任したラザフォード・オールコックは、その3年間の日本見聞記『大君の都』(岩波文庫)を読めばわかるように、必ずしも日本に甘くはなかったのだが、それでも随所で日本の景観の美しさには心底驚いている。それも、たとえば小田原から箱根におよぶ道路の「比類のない美しさ」にさえ、目を奪われた。
 オールコックは、田園と日本農業のありかたにも唸った。「日本の農業は完璧に近い。自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない」と書いた。これはオールコックがライバル視したタウンゼント・ハリスにとっても同じことで、ハリスはやはり水田の見事さに驚いたあと、「私はいままで、このような立派な稲、このような良質な米を見たことがない」と兜を脱いだ。

子供たちの自由なふるまい、女たちの屈託のない素振りと姿、日用雑器やおもちゃや土産物の細工のすばらしさにも、多くの外国人が目を見張った。
「デイリー・テレグラフ」の主筆で、『亜細亜の光』(岩波文庫)を書いたあったエドウィン・アーノルドは、「日本の最も貧しい家庭でさえ、醜いものは皆無だ。お櫃(ひつ)から簪(かんざし)にいたるまで、すべての家庭用品や個人用品は、多かれ少なかれ美しく、うつりがよい」と講演でのべた。
 フランス海軍の兵卒として慶応2年に来日したスウェッソンは、日本の家が「いつも戸をあけっぱなしにしている」ことにびっくりし、女性たちがあけっぴろげであることとともに、その開放感がいったいどこからくるのかを考えこんだ(『江戸幕末滞在記』新人物往来社)。イギリス公使館の書記官だったミットフォードは、そうした日本を「おとぎの国」「妖精の国」(エルフランド)とよぶしかなくなっている。
 スイスの遣日使節団長だったアンベールは、日本が何百年にもわたって、質素でありながらつねに生活の魅力を満喫していることに、驚くとともに感銘をうけている。ルドルフ・リンダウの『スイス領事の見た幕末日本』(新人物往来社)には、次のようにある。「何もすることもなく、何もしていない人々は、日本では数多い。かれらは火鉢のまわりにうずくまって、お茶を飲み、小さなキセルを吸い、満足な表情で話をしたり、聞いたりしている。そこには日本人のやさしい気質と丁寧な人づきあいとがあらわれている」。
 熊本に入って徳富蘇峰らに影響をあたえた英語教師のリロイ・ジェーンズは(その影響が熊本ハンドとなった)、日本では乞食でさえ節度あるふるまいをしていると驚いた。大森貝塚の発見でも知られるエドワード・モースが『日本その日その日』(東洋文庫)に、いつもそこいらに置きっ放しにしていた自分の持ち物や小銭が一度も盗まれなかったことを、何度も書いていることは有名だ。
 こうして、日本について10冊以上もの感想や記録を綴ったウィリアム・グリフィスは(化学教師として越前藩に招かれた)、「きっと日本人は2世紀半というもの、主な仕事は遊びにしていたのではないでしょうか」と半分冗談まじりで書いたのだ(『明治日本体験記』平凡社東洋文庫)。

https://1000ya.isis.ne.jp/1203.html
スポンサーサイト

応援クリック宜しくお願いします。励みになります…
平に平になにとぞよろしくお願い申し奉ります。
朝日新聞を購読しません」運動を! 朝日新聞を読むと世界のことが理解できず、自分が馬鹿であると思うようになります。 それが政治への無関心を増長させ、国民を投票から遠ざけ、左翼組織票による議会政治の乗っ取り を推進させています。産経新聞をお薦めします。まだまだましです。
ページトップへ  トラックバック0 コメント0
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
TB*URL
<< 2017/11 >>
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -


余白 Copyright © 2005 日本たばこ党宣言. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。