
今 読んでいる若狹和朋氏の「日本人が知ってはならない歴史」 で氏の見識により
明らかになった アメリカによる日本占領期間7年
をアメリカによる
日本に対する追撃戦
と とらえる知見の話ではない。
(之は単なる洗脳といふ認識以上のものとして優れた知見だと思います)
文字通り8月15日詔により日本は戦闘行為を放棄したと思っていたが、
その3日後突如 ソ連が千島列島に侵攻してきたときに、再び武器を取り
戦い ソ連軍を撃破し食い止め北海道上陸を阻止した大日本帝国の軍人たちがいた。
占守島の物語
この話は広く日本人が知るべきものであると考えますので紹介させていただきます。
http://ameblo.jp/shuushin/page-2.html
あちの見聞録 様より 転載
『島の物語』 司馬遼太郎(1993年11月)
思い出したから、書きつけておく。
日本の北に、ロシアのカムタチャッカ半島が、南に向かって垂れている。
その南端から北海道まで、首飾りのように二十四ほどの島々がならんでいるのが、千島列島である。
すべて日本領であった。
いまは日露間の熱い湯の中にある。
この島々が日本領であることは、明治八年(1875年)に日露間で調印された、『千島・樺太交換条約』みよって、たとえば東京都が日本領であると同じくらいに明らかなことであった。
すくなくとも1945年8月18日まではである。
太平洋戦争中、この列島はアメリカ軍の航空機や艦船の南下路にあたっていたため、日本はここの守備隊を置いた。
カムチャッカ半島か南端から数えると、第一島が占守島、第二島が幌筵島でこの両島に一個師団が置かれた。
兵力はやがて他の戦線にひきぬかれたため、末期には六千ほどになった。
日本が連合国に降伏したのは、周知のように、1945年8月15日である。
すべての戦場で戦火がやんだ。
ところが、信じがたいことに、降伏から三日後に戦争をせざるおえなかった部隊があった。
さきにふれた八月十八日のことである。ソ連軍が占守島に銃砲火とともに侵入してきたのである。世界戦史上、例が無い。
型どおりの夜襲だった。まず同日の午前一時前後、カムチャッカ半島南端から重砲弾が飛来し、次いで艦砲の砲声がきこえ、未明、島の北端の竹田湾に侵入軍が上陸した。
おどろくべきことだった。おなじことが千葉県や山口県でおこったと想像しても、事態の質は変わらない。
当時、島には私の友人達がいた。高木弘之、芦田章、田中章男、吉村大、木下弥一郎らだった。
みな戦車第十一連隊に属していた、連隊長は池田末男大佐で、この人は私どもが戦車学校で教育をうけていたころ、教頭のような職にあった。
いまでも、私は、朝ひげを剃りながら、自分が池田大佐ならそうするだろうと思い、その困惑の大きさを想像したりする。
サッカーのゲームがおわってから、相手チームが突っ込んできたようなものである。それも三日後である。
(以下省略)
どうなったか 続きは あちの見聞録様へ
http://ameblo.jp/shuushin/page-2.html




