
幕末に膳所城事件で責任をとり切腹した 保田信解正経の子息 保田祐
氏17歳 と曾祖母の兄 保田昇太郎17歳 木村忠一16歳 白石清一
外7名 明治11年2月16日撮影の写真である。
保田信解は槍の奥義を極めていた。和歌も能くし 辞世の歌として
弓矢とる
神もいまさば
もののふの
甲斐なき死をや
哀れみたまへ
と詠んだ。
高祖父 保田秀之輔らが 安昌寺まで遺体を引き取りに出向いたらし
い。信解さんは今は 靖国神社に勤皇の志士として祀られている。
昇太郎さんはその後 京都裁判所勤務を経て 建部神社の宮司となった
が 妻を娶る前 若くして逝く。秀之輔の次男も夭折。曾祖母の保田家
は絶家の運命をたどることとなる。
信解さんは柴田家から養子にはいられたとか。
膳所柴田家は通字から 類推するに 柴田勝家さまの御末裔でしょうか?




