喫煙者の権利が著しく迫害されています。 喫煙者の権利を守る運動を立ち上げたいと考えます。 一本のたばこにつき一円 旧国鉄の負債清算に奉仕している 私達をどこまで侮るのだ!!
日本たばこ党宣言
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謹賀新年
2009-01-02-Fri  CATEGORY: 歴史
CAP0MDHV.jpg
旧年中はいろいろとご厚情をいただき、有り難うございます。

皆様のご健康とご繁栄を心からお祈り申しあげますとともに、

我が国が未曾有の危機に瀕する昨今、我々だけでなく子孫のためにも

また、此の国を作りあげてきたご先祖の思いに報いるためにも、

微力ながら尽力していきたいと考えますので、何卒ご指導、ご鞭撻

お力添えのほどよろしくお願いします。

                        日本たばこ党
                         
                          党首 甲賀三郎
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【日本人が知ってはならない歴史】 お薦め動画 富田メモは徳川侍従長記者会見メモ。。所謂A級戦犯慰霊碑の前に立ち直立不動瞑目される昭和天皇陛下、今上陛下
2008-08-21-Thu  CATEGORY: 歴史
【日本人が知ってはならない歴史】

「所謂A級戦犯慰霊碑の前に立ち直立不動瞑目される昭和天皇陛下、今上陛下」
は1/6に収録されています。







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教科書が教えない第二次世界大戦の真実。。。お薦め動画3
2008-08-14-Thu  CATEGORY: 歴史
教科書が教えない第二次世界大戦の真実。
http://www.teiteitah.net/emp_jp-1.html

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岩倉槇子
2008-08-05-Tue  CATEGORY: 歴史


 槇子は膳所藩士野口賀代(為五郎)の次女で文政十年(1827)膳所に生まれた。

生家野口家は膳所藩の勘定組で禄高米八百五とう、家は膳所大工町(現住所一丁目十六)

にあった。兄の賀柔が岩倉具視に仕えていた関係で奉公に上がった。 兄は具視の信頼も厚く

身辺警護に当たり、槇子は身の回りの世話をした。

具視は前中納言堀川康親の次男で、洛北岩倉に里子にだされた後 岩倉具慶の養子となり

録百五十石を食んでいた。妻 誠子(のぶこ)は病弱で槇子が実質妻の役目をつとめることに

なった。

 この頃公武合体をとなえ、皇女和宮の降嫁を進めた具視は、尊皇攘夷派の反感を買い

三十八歳の時洛外に閉居させられる。志士の刺客の手を逃れて幼少の頃過ごした洛北岩倉村

に幽居した。槇子も子供を連れ具視を追い岩倉へ移った。洛中の情勢を知る為具視は密書を

賀柔と槇子に託し薩摩藩士等との往復書簡で意見をかわした。この頃の槇子の内助の功として

伝えられているものがある。

 例えば乳飲み子を抱え具視の密書を帯の間に隠して田のあぜ道を駆け抜け洛中の薩摩屋敷

まで往復したという。賀柔も夜闇にまぎれ洛中に出て具視の意思を公家や桂小五郎、西郷吉之助

大久保市蔵、坂本龍馬らの志士に伝え、自らも謀議にも参画した。また具視を元気づける為、

長男具定と次男具経に近くの岩倉川で小魚を釣らせて酒の肴とし、徳利を抱えて夜道を山端の

平八茶屋へ通ったという。また実家の野口家の土蔵に具視を一時匿ったともいわれている。

この土蔵は膳所一丁目の野口家旧宅跡に最近まで残っていたという。

 慶応三年正月、明治天皇即位による大赦で具視も赦されて五年ぶりに洛中にはいった。

五年余りを過ごした岩倉の里を後にした具視は東京に移住した。その後王政復古を推進して

明治新政権に参加した。

明治七年(1874)正室の誠子が病没したので槇子を継室とした。時に槇子四七歳。槇子は

具視との間に二男三女を儲けたが、長男で一三世岩倉具定の孫は女優となり、芸名は

小桜葉子すなわち俳優 加山雄三の母である。加山雄三は岩倉具視の玄孫ということになる。

明治三六年(1903)2月23日槇子は東京の岩倉邸で病没した。享年七七歳。

品川の海晏寺に葬られたが膳所中庄一丁目の野口家菩提寺光源寺には明治三六年七月に岩倉家

が建てた野口家累代之墓があり、ここに槇子の分骨が合葬されている。

 尚洛北北の岩倉には岩倉具視幽棲旧邸が当時のまま残っていて、庭には具視手植えの松がある。

慶応四年(1868)岩倉村で四九歳で没した兄 賀柔の顕彰碑が京都東山の霊山に建てられている。

                        (本多美智子様記 立葵会第八八号より転載)

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怒りの聖徳太子。。。こら シナ人何偉そうにしとる!!
2008-06-17-Tue  CATEGORY: 歴史
姫路城好古園斑鳩寺 103


先日友人と飲んでいて聖徳太子の話が出た。
世に聖徳太子非実在論もあるようだが、
あまり世に知られていない 或いは漢風諡号淡海御船奏上説をはなから信じる学者から無視されてきた白河神祇泊家に伝わった 所謂 白河本旧事紀から、偉大な太子の強気外交を今日は勉強しましょう。

以下 望月古たん著 異伝聖徳太子(日本図書刊行会)より

皇太子本紀下 太子十三(推古15年 皇太子36歳から)




秋七月、太子、奏して曰く。夫れ震旦は、聖賢継ぎ出で、文道大いに行われ、礼儀全く備わる。

加之、天竺の隣り、梵僧直ちに来たり、仏法流布す。本朝の神教は、固より足るざることなし。
然れどもその道たる、玄妙にして、測られず。下智達し難し。

仰ぎ願わくば陛下、使を遣わして好を結び、以て彼の書典を来たして、吾が道を羽翼したまへ。

天皇曰く。善いかな。皇太子の言とや。然りと雖も、誰を以て使いとなさんや。
是に於いて、太子、あまねく群臣を相して曰く。
大礼小野臣妹子、知勇兼ね備ふ。則ち其の人なり。
是に於いて、小野臣妹子を以て遣隋使とす。鞍作礼利を通事とす。

時に太子、自ら其の簡を書したまふ。其の辞に曰く。

日出る天皇、月見ゆる帝皇に問ふ。朕、海蕃に有りて貴風を聞く。
萬蒼相ひ隔てて、未だ通ぜざりけり。今ま、謹んで将に宝体安全を聞んとす。
是れ同天の好を慮るのみ。よりて大礼小野妹子をして、謹んで久情を宣述せしむ。
次て方物を進て、信を為すこと斯くの如し。

中略

十有六年戊辰、皇太子三十七歳、夏四月、大礼小野妹子、隋国よりして帰る。
時に隋国の使 ハイ世清等十二人、妹子臣に従いて,筑紫に至る。是より先き、
隋人、本国の音に通ぜず。小野を謂いて蘇と曰い、妹子を謂ひて因高と曰ふ。

六月、妹臣、及び隋使等、倶に浪華舘に至る。

時に妹子臣、奏して曰く。臣、百済を経るの日、百済の人、隋国の表を掠む。
よりて上ることを得ず。群臣、議して曰く。妹子臣怠慢にして、蕃国の表を失ふ。罪流刑すべし。

天皇、太子に問て曰く。之をなさんこと如何ん。

太子こたえて曰く。妹子が罪、まことに容すべからず。然りとも雖も、好を修め、
隣を善くするものは、妹子が功なり。其の功、以て罪を贖ふに足る。加之隋国の使人、之を聞くこと未だ善からざるなり。

天皇、之を悦び、妹子が罪を赦したまふ。

けだし、隋国の報書不敬。若し、之を上らば則ち隣好を失はん。
ゆえに詐りて書を失ふと言ひて上らざるなり。

中略

(管理人注 驚くべきことにこの白河本旧事紀には
従来失われたとされていた隋帝の親書が記されている)

隋帝の書に曰く。

皇帝、倭皇に問ふ。使人長吏大礼蘇因高等、至りて懐を倶にす。朕、つつしんで宝命を承けて、区宇を臨御し、徳化を弘んことを思ひ、含霊におよぼし被らしむ。

愛育するの情、かじを隔てることなし。知る皇、海表に介居して、民庶を撫寧し,境内安楽にして、風俗融和す。

深気至誠にして、遠く朝貢を脩む。丹カンの美、朕、嘉することありけり。このごろあたたかなること常の如くなり。

故に鴻ろ寺の掌客 ハイ世清等をして、ようやくインジの意を宣べしむ。
ならびに物を送ること別の如し。

天皇 太子に問て曰く。此の書如何ん。
太子こたえて曰く。此れ天子、諸侯王に賜ふ書式なり。

然りと雖も、皇帝の字は、是れ天子の称にして倭皇の字を用ふ。彼れ其の礼あり。いちおうまさに恭しくして修むべかりけり。
天皇、之を然りとしたまふ。

(管理人 さてここからです。一応推古天皇にはむこうさんの書式の問題だからと宥めておいてから
。。。。聖徳太子の怒ること怒ること。。。外交とはかくあるべき)

四月(四日)、隋国の使等を朝廷に召す。

時に太子、簾を巻いて、ハイ世清を見たまふ。

其の威儀、穆穆(ぼくぼく)巍巍たり。

ハイ世清等、戦懼(せんく)して地に伏し、敢えて仰ぎみず。

太子、乃ち之を責めて曰く。

隋帝の書、何に由て不敬なるや。

夫れ吾が天皇は、是れ日の神の胤、天地開闢より以来、嫡嫡相承して、
以てあまつひつぎを践みたまふ。
故に姓氏なし。

西は則ち三韓、東は則ち二夷、海外の諸蕃、従い服さざる者のなし。
古往今来、他我に服することあれども、我れ他に従ふことなし。
而るに今ま、隋帝蕃(まがき)に居て、傲慢にして礼なく、

我が国を以て諸侯の列となさんと欲するは、何ぞや!

我れ未だ隋を撃たざる者のは、本と彼を以て臣となさざればなり。
隋未だ我を撃たざるは、本と彼を以て君となさざればなり。

我れ本と隋の力に頼て、此の国を治めざるなり。
隋亦た我が力に頼て、彼の国を立てざるなり。

夫れ是の如し。則ち両朝敵対均等、高下あることなし。
隋帝の書、何に由て不敬なるや!

夫れの信を通じ好を結ぶがごときは、則ち互いに其の用を相ひなさんことを欲する者なり。
もし 此を以て即ち臣伏となるは、甚だ不可なり。

昔在漢の明帝、使をして天竺に往きて仏法を求めしむ。
是れ漢国降りて臣となるにあらず。

亦た天竺のぼりて君となるにあらず。
今 吾が朝の隋国に於ける、亦復た是の如し。
隋帝の書、何に由て不敬なるや!

まさに今、当に隋簡を破り、汝らを誅し、以て無礼を報ずべしと雖も、
然れども天皇寛恕にして、一字の礼を以て、多言の不敬を容したまふ。
後来、当に其の貢高を誡むべきなり。

是に於いて、ハイ世清等大いに驚怖し、稽首九拝して退く。
五日、隋国の使を朝廷において饗す。


以上 抜粋終わり。

現在の日本の腰抜け外交。外務省の無能力を鑑みてため息が出ます。
吸われっぱなしの日本。。。

吸われたらいかん。。

吸ってなんぼ=日本たばこ党宣言

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