喫煙者の権利が著しく迫害されています。 喫煙者の権利を守る運動を立ち上げたいと考えます。 一本のたばこにつき一円 旧国鉄の負債清算に奉仕している 私達をどこまで侮るのだ!!
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丑寅 鬼門遁甲術 忍法 詐術 撹乱 ラモンと酒の肴
2009-04-23-Thu  CATEGORY: 中島らも
丑寅 鬼門遁甲術 忍法 詐術 撹乱 ラモンと酒の肴

何年も前

僕がサラリーマン生活を始めて数年たった頃だと思う。

そう、30年ぐらい前の話です。

学生時代の友人の友人の友人である

中島氏と知り合い、よく飲みに行く間柄となった。

鬼門遁甲術ではないが、丑寅の方角(北東東)は

古来より鬼門とされ、謂わば穢れ忌む方角である。

そのせいか、大阪城からみて、丑寅の方角にあたる

城東区赤川など今は知らないが当時何となく場末の雰囲気の

ただよう街であった。

灰色の街、工場に挟まれたような文化住宅や、

ところどころに居酒屋やピンクや黄色に黒文字の看板を

掲げたスナックが点在する決して田舎ではなく

かといって都会の華やかさとはかけ離れた

どこかうらぶれた街なみ。

そんな赤川から、夕刻 ガールフレンドのMと飲んでいると

飲みに出てこない?と知り合って間もないラモンから

誘いがあった。

Mはラモンの灘高時代からの知人であったこともあり

その、ラモンが飲んでいる赤川のスナックに

こちらから出向くことになった。

初めての河岸なので、赤川3丁目というバス停まで

タクシーを飛ばし迎を待つことに。。。

僕たちがバス停につき、どちらの方角から

やって来るのか案じていると、向こうの方から

青年と女の子供連れがやってきて手を振る。

街頭の薄明かりのなか、近くにきて

やっとその青年が今は死んでしまったOであること、

女子児童と見えた子は、極めて小柄な成人女性であることが

判明した。MとOとも ノルウェイの森の世界ではないが

彼女がK女学院女子高生であった頃から入り浸っていた

神戸三宮のジャズ喫茶での仲間内。。。

昔話などをしながら名前は忘れて終ったが

ラモンのいるスナックまで数分歩いたように思う。

扉の角がはがれかけているような暗褐色のドアを開け

その音が何メートル先からも聞こえる当時世に普及しだして

間もないラモンの待つカラオケスナックに足を踏み入れた。

一言でいえば フェリーニの世界 であった。

それも 極めつきコテコテ大阪の。。。。

こびとのSという源氏名の女性

厚化粧のオカマのマスター

どこか影のある優男のバーテンダー

大衆曲 演歌を歌う工員風のホモっぽい客。

隣席のラモンが、納豆の糸を引くように粘る

歌詞帳をくりながらしゃべり続ける。

僕は病気になりそうで、つきあてに出された巻き寿司とか

使い回したような烏賊の燻製とか、口にできなかったが。。。。

そのフエリーニの世界の主役

ゲンズブールに憧れていたラモンは

その作り物ではない その街 その店 その経営者 そのスタッフ

の人生遍歴が醸し出す特異な状況が楽しくてたまらない風に

しゃべり続け飲み続けた。

今となっては彼特有の冗談に嵌められた気がする。

しばらくして僕は小用を足しにトイレに入った。

ラモンからこのスナックの看板娘sチャンは

お客がトイレに入ると いきなりドアを開け

パクッと使用中の道具を咥えて驚かす趣味があるので

気をつけるように。。。といい含まれていたのを思い出し

鍵をかけて用を。。。

いきなり誰かがドアを開けようとガチャガチャ

そのときはS嬢だと思ったし、その後

もS嬢の仕業だと思い込んでいた。

何年かして思い出す機会があり、

ようやく あのときトイレの外でドアノブをガチャガチャ

させていたのはラモンか ラモンの意を受けたOで

ガールフレンドMの前で僕が驚き必死にsの口撃から

身を守ろうとしている様を想像して酒の肴にしていたのであろう

ということに気付いた。

彼の憧れたダンディズムとは

かけ離れてひねくて野卑な趣味であったとは思うが。。。


実をいうと、未だにドアノブをガチャガチャさせたのが、

ラモンとOであったのか、S嬢であったのか未だに確信がもてない。

ラモンが階段から落ちて死んでしまってから何年になるのだろう。。

もうすぐ彼の逝ってしまった季節がまた巡ってくる。

冥界でまたあうことがあれば、事の真相を問いただしたい

気もするが。。。。

あの世でも本心真実を吐露するような野暮なラモンではあるはずもない。



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中島らもん 頽廃のダンディズム
2007-08-26-Sun  CATEGORY: 中島らも
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hommage to ramon nakajima

らもん(当時らも ではなく らもん と呼んでいた)が 大阪の印刷屋

に勤めているころ、よく 曽根崎商店街のトリスbar や 南森町の居酒

屋 なんばにあった僕の行きつけのjazz-bar loft6 梅田駅前のビルの地下

の居酒屋 茶屋町のrockのlive-house アメリカ村のpalms 等々で

或いは ひばりが丘のらもんの自宅など しばしば飲み歩いた。

ある時は 女連れであったり O君がいたり 僕の友人の玄さんが一緒だ

ったりした。酔っ払って アマ・プロレスの企画を考えたり

シュールリアリストの中で誰が一番格好良い だとか 玄さんは タ

イコ(ドラム)顔だとか 相撲取りとプロレスラーと比べてどちらが強いか とか

他愛もないが少し風変わりな話題で盛り上がって飲み続けた。

そうしているうちに らもん は印刷会社を辞めてコピーライターの学校へ通い始めた。

その頃だろうか?

友人のK(今現在は義弟の関係)が 大阪のTホテルで結婚披露宴を催した。

人と人 親しい間柄であっても あるときは誤解から 或いは 明らかになった思想

美学の相違から 疎遠になったり まして若ければ相手を批判したり攻撃することもある

もの。今から思えば らもん もそういう人生のひとときを生きていたのかもしれない。

K君の披露宴に現れた らもん は ピアノ独演で song for you を 弾き

僕は馴れない司会役で右往左往。 詳細は忘れたが 挑発的な らもん にK君の親父の

怒りが爆発!

この写真のあと 会場は修羅場と化した。

その事件を契機に らもん とは 疎遠になっていった。

そして じょじょに らもん は有名人になっていった。

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